140年以上の時を経て、世界中で愛されるホームテキスタイルブランドに進化したKLIPPAN。
人々を魅了してやまない、1枚のブランケットがもたらす「幸福」の源泉はどこにあるのか?
KLIPPAN日本総輸入元・イーオクト代表の髙橋百合子に、KLIPPANの魅力とブランドに込める想いを聞きました。
スウェーデンとの繋がりが引き寄せた特別な縁
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KLIPPANとの取引がスタートしたのは2005年ですよね。
出会いのきっかけや、取引開始までの経緯を教えていただけますか?
2005年の春、スウェーデン大使館の商務部から連絡があったんです。話を聞くと「KLIPPANが日本でのパートナーを探しているので会ってみませんか?」という内容でした。スウェーデンとはこれまでも深い繋がりがあり、遡れば、私たちのサステナビリティへの幕開けと言える1990年、スウェーデンの「リサイクル社会を実現する環境機器」の輸入事業をスタートしたことが縁の始まりでした。
サステナビリティの哲学や、北欧ブランドを推進してきた長年のマーケティングをスウェーデン大使館から評価いただき、KLIPPANのパートナー候補として声掛けに繋がったことは嬉しかったですね。
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実際にKLIPPANに会ってみてどんな印象を持ちましたか?
KLIPPANの現副社長・パニラが来日して実際に会ったのですが、もう「これは絶対やりたい!」と確信しました。一緒に同席したメンバー(現社員:関 純子、髙橋 啓子)も満場一致で「やろうやろう!」と盛り上がったことを昨日のことのように憶えています。パニラが日本にいる間にもう一度会おうと決めて、2回目の打合せで改めて想いや情熱を伝えたことが今に繋がっています。
KLIPPANの現会長・ヨスタに後から聞いた話ですが、日本での打合せ後にパニラが「すごく良いパートナーを見つけたの!」とヨスタに喜びいっぱいの電話報告をしてくれていたそうです。
◇パートナーを選ぶ大切なポイントこそ「パーソナリティ」
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相思相愛で取引がスタートしたのですね。
「絶対やりたい」と感じさせた、KLIPPANの魅力はどんなところにありましたか?
製品はもちろんですが、人間性というか、パーソナリティやポリシーの部分を、私たちはパートナーを選ぶ上でとても大切にしています。KLIPPANを代々築いてきた「マグヌッソンファミリー」の温かな人柄は、まさに特別なものだと思っています。KLIPPAN以外の北欧ブランドからも様々問い合わせはありましたが、KLIPPANほど惹かれるブランドはなかったですね。
「スウェーデンらしさ」と重なる、飾らずにまっすぐ進む姿勢
◇KLIPPANが映し出す、スウェーデンの国民性や価値観
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「どの商品にも、その国の価値観や国民性が現れる」と以前伺ったことがあります。
KLIPPANについても同じことが言えるでしょうか?
KLIPPANは「欲張らない」ブランドだといつも感じています。利益重視ではなく、ものづくりに真っ直ぐ向かう姿勢が印象的。140年以上続けている“ものづくり”そのものから、決して足を踏み外すことがないんです。
この姿はスウェーデンという国とも重なります。スウェーデンのスーパーを取材した時に衝撃を受けたのですが、彼らはオーガニック商品をもっと広げるために、利益率を低くして販売していると。利益がどうとか、社会がどうとかではなく、自分達が良いと思うものに向かって淡々と真っ直ぐに進んでいく姿は、スウェーデンの人々に共通していると感じます。スウェーデンという国が、グレタ・トゥンベリさんという弱冠19歳の環境活動家を生んだことも頷けますね。
KLIPPANの「サステナビリティ」に関する真摯な姿勢も、こうしたスウェーデンの在り方と繋がっているように思いますし、“シンプルなのに美しい”商品にも同様に現れていると感じます。
◇グリーンウォッシュと対局にある「サステナビリティ」への取り組み
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日本でもサステナビリティを謳うブランドや企業は増えてきましたが、KLIPPANは140年以上も前からこの課題と真っ直ぐに向き合っていますよね。
そうですね。表面上だけのグリーンウォッシュ(※環境配慮をしているように装いごまかすこと)でなく、一本芯の通った姿勢で地球・動物・暮らしのことを考え、努力を続ける姿には脱帽します。
KLIPPANは「語る人」でなく「実践者」。例えば、KLIPPANが“エコウール”という希少なオーガニックウールの導入を始めた時も、こちらから聞いて初めて詳細を話してくれました。凄い取り組みであるにも関わらず自慢するようなことは一切なく、当たり前のこととして淡々と実践する姿はKLIPPANらしさでもありますね。
一言で表すなら「大きな愛に包まれたブランド」
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KLIPPANを知れば知るほど、単なる「テキスタイルメーカー」ではないことが分かります。
もしKLIPPANを一言で表すとすれば、どのようにKLIPPANを表現しますか?
私たちは「サステナビリティ」「デザイン」「ファンクション(機能性)」の3拍子が揃った商品だけを選び販売していますが、私自身は「デザイン」と「ファンクション」は「サステナビリティ」の中に包含される要素だと思っているんです。
デザインの力で、人はモノに対して愛着を感じるようになりますし、そもそも使いにくいものは長続きしません。デザインと機能性が揃うことで人々はモノに「愛」を感じ、永く大切に使うことができる。これこそがサステナブルの理想形です。
KLIPPANは、サステナビリティという大きな「愛」の中にデザインとファンクションを包み込んだブランド、大きな愛に包まれたブランドだと思っています。
胸を熱くする、4代目ヨスタの一大決心
◇1879年、小さな紡績業からはじまったKLIPPAN
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今では「ホームテキスタイルブランド」として知られるKLIPPANですが、元々はウールの紡績業を営んでいたんですよね。
はい、KLIPPANがウールの紡績業(北欧TOP5)からテキスタイルブランドに転換したのは1992年のことです。当時4代目の社長だったヨスタの一大決心によって今のKLIPPANが生まれました。
当時はスウェーデンでウール産業が衰退していた時代。ウールブランケットの伝統を守るために事業の転換を決意し、先祖代々引き継いできた土地や建物を売り払ってまで、ラトビアにあるブランケットの生産工場を買い取ったんです。
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ヨスタさんが当時ラトビアの工場を買い取ったことは、強い意志と覚悟の表れだったんですね。
ヨスタは普段は「優しいお父さん」のような存在で、おっとりした印象の方なんですね。ただし経営者としては、芯の強さと判断力、決断力をもつ人なんだと感じます。代々培ってきたモノを手放してまで、まだどうなるか分からないビジネスに賭けたヨスタの想いを思い返すと、今でも目頭がぐっと熱くなります。
◇たゆみなき品質向上の積み重ねが生み出す、極上のブランケット
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1992年のラトビアというと、ソ連から独立したばかりの時代ですよね。
そうですね。当時買い取った工場はもともとソ連の工場だったので、職人だけが取り残されたような状態だったそうです。ブランケットの品質も当時は劣悪で、テキスタイルデザイナーのビルギッタと共に、何度も何度も足を運んで教育や品質改善を行ったと聞いています。職人たちは英語もそこまで話せなかった時代、辛抱強く教育を行ったことが想像できます。
高品質で知られるKLIPPANのブランケットですが、その裏側にはこうした歴史や努力の積み重ねがあるんです
1枚のブランケットが、家を「HOUSE」から「HOME」に変える
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KLIPPANのブランケットは、こうした歴史を経て生まれているんですね。
実際にKLIPPANのアイテムを愛用されるようになってから、暮らしに変化はありましたか?
初めてKLIPPANのブランケットをソファカバーにした時、「1枚敷くだけでこんなに温かさが変わるものなのか」と本当に驚きました。実質的な温かさや心地よさもありますが、部屋の中にKLIPPANのデザインやカラーが広がると、温かな空間が出来上がるんです。
暮らしを心地よく、豊かにしてくれるってこういうことなんだと。KLIPPANは家を”HOUSE”から“HOME”に変える存在だと思っています。
日本市場での挑戦とこれから
◇名もなきブランドからのスタート
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最後に、日本市場での挑戦について教えていただけますか。
今では多くの方に愛されているKLIPPANですが、当時はもちろん誰も知らないブランドでした。日本ではブランケットと言えば「毛布」、つまり「寝室の中で暖をとる地味なもの」というイメージがあったので、このイメージを払拭させたいと考えていました。そこでまず、寝室から離れて「ギフト」として受け入れてもらえるミニサイズの小さなブランケットから販売をスタートしたんです。展示会からスタートし、百貨店や小売店での巡回展の開催など、一つ一つの積み重ねを経て今に至ります。
◇日本におけるKLIPPANのこれから
KLIPPANはまだまだ知られていないと感じますし、自分たちが当たり前と思っている情報も、実はまだ伝えきれていないんだと痛感することがあります。「大きな愛」に包まれたこの素晴らしいブランドについて、ゼロからしっかり伝えていくことが私たちの使命だと考えています。